画家と庭師とカンパーニュ2014年01月09日

 還暦を過ぎて、小学校、中学校や高校の同級生と会う機会が増えてきました.昨年の暮れにも中学校と高校の仲間の忘年会がありました.中学校時代の同級生の集まりには久しぶりの出席でしたが、新年会や忘年会など年に3回も4回も集まっているようです.
 高校の集まりは40歳くらいまでは毎年開いていましたが、それぞれが多忙になり仲間がみんな集まることはどんどん難しくなっていました.それが一昨年あたりから声をかけるとほとんど全員が顔を見せられるようになっています.嬉しくもあり、多少寂しくもありといったところでしょうか.

 昔の仲間の一番よいところは、お互いの距離感が最初からちょうどよいところにあるということでしょう.“間が持たない”とか“呼吸が合う合わない”というような言い方をしますが、その間合いが最初から比較的、適度なところにある場合が多いようです.中学の同級生に歯科医がいますが、昔話をしているときはいいのですが、ときに「歯科医“として”」話す場面が出てくると、空気が変わってしまいます.彼との間合いが微妙に変化してしまうからでしょう.

 「画家と庭師とカンパーニュ」というフランス映画を、お正月休みに観ました.
 カンパーニュ(フランス語で「田舎」という意味)に戻ってきた画家が荒れ放題の庭の手入れをしてくれる庭師を募集していると、小学校のときのいたずら仲間だった男が応募してきます.二人は互いを「キャンバス」「ジャルダン(フランス語で「庭」)」と呼びあい、日々触れ合いながらお互いの関係を深め、次第にかけがえのない存在になっていきます.
 画家と庭師の関係はごく自然に対等です.表向きは雇ったものと雇われたものという関係なのですが、それは重要ではありません.画家として庭師として相対しているのでもありません.小学校のとき一緒の仲間だったから付き合い始めたわけでもありません.
 庭師は庭師の仕事をしながら、画家は画家の生活を送りながら、会話をかわし、お互いの人生に触れ合っていきます.そしてお互いに適度な距離感をもった時間を過ごしながら、相手の存在によって自分の存在を確認するようになります.
 監督は「クリクリのいた夏」のジャン・ベッケル.フランス映画らしいとても良い作品です.

 おそらく昔の仲間というのは現在、利害関係もなく、それぞれの役割を演じる必要もないうえ、昔には何らかのつながりがあったわけで、適度な間合いをとりやすい関係なのでしょう.

志の輔らくご in PARCO2014年01月28日

 “志の輔らくご in PARCO”に行ってきました.久しぶりに煩わしい日常を離れて、別世界で遊ぶことができました.
 ここ数年、演芸場のみならずコンサートホールや劇場にはとんと御無沙汰だったので、生の良さを久しぶりに堪能してきました.
 以前は春と秋、小三冶さんの鈴本の独演会を欠かしたことはありませんでしたが、ここしばらくは演芸場にはまったく行けなかったので、久しぶりの高座というか劇場はとてもエキサイティングでした.
 かつて、小三冶さんの噺を聞いた後は、志ん生さんの同じ演目のCDを探し出して聞き比べるのが楽しみの一つでした.
 今回も最後の演目「井戸の茶碗」を志ん生さんのそれと聞きくらべてみました.
 志ん生さんの「井戸の茶碗」に比べると、志の輔さんはずいぶん噺を膨らませているようです.くず屋の清兵衛さんが千代田卜全(という字で良いのか分かりませんが・・・)と細川の若侍の間を行ったり来たりするくだりは、志ん生さんでは比較的あっさりしていますが、志の輔さんはかなり細かく描写します.変に膨らませると滑ってしまうことも多いと思いますが、志の輔さんは成功しています.
 同じ演目だからといって、両者の噺を比較することには無茶があると思いますが、志の輔さんの落語は期待していた以上のものでした.
 志の輔さん、“志の輔らくご”に招待してくださったKさんご夫妻、楽しい時間を有難うございました.
http://www.asahi-net.or.jp/~pi5a-kns/