教養の力(斎藤兆史)2014年02月16日

教養の力-東大駒場で学ぶこと
 教養には3つの側面があると「教養の力」の著者、斎藤兆史さんはいいます.
 良質な「学問」や「知識」としての側面、「何かを「身につける」あるいは「修得する」という側面、学問や知識を身につけることによって備わる「心の豊かさ」「理解力」「品格」という側面の三つです.
 これを食事に例えてみると、料理や果物(学問や知識)を食べて、それを消化吸収(修得する)して、健康な体(心の豊かさや品格)をつくるということにでもなるでしょうか.
 ジャンクフードやお菓子ばかりを食べても、消化吸収できないものを食べても健康な体をつくることはできません.同様に「心の豊かさ」や「品格」を創るには、有益な学問や知識を的確に選択し、自らの血となり肉となるようにする必要があるわけです.そのときに必要なものとして「知的技術」「バランス感覚(センスオブプロモーション)」「善」の三つを斎藤さんはあげています.
 この本には四書五経は西欧文化が入ってくる前の「教養書」であったとしています.しかし、読んでいて、江戸以前の日本の文化人には「教養」という語句はあまり似つかわしくないような感じがしてなりませんでした.この本でも教養ある日本人として名前の挙がっているのは、明治期以降の人ばかりです.
 なぜだろうとと思って調べてみると、新渡戸稲造が校長として赴任したころとその後の一高の文化的雰囲気がこのことに大いに関係しているのではないかということがわかりました.
 新渡戸の着任以前の一高は「東洋豪傑気取りの」「軍国主義的影響の濃い」校風が主流を占めていましたが、そういった雰囲気に反する気運も学生のあいだに芽生えつつありました.そして徐々に進歩的青年が主流派となっていきます.新渡戸は典型的な「修養主義者」で、学生たちに「性格=人格の修養」を説き、後の教養主義=西欧崇拝主義という教養の性格をかたちづけることなったと、筒井清忠さんはその著書『日本型「教養」の運命-歴史社会学的考察』岩波書店で説明しています.
 教養という言葉が明治になって、修養という概念から生まれものであり、「教養主義=西欧崇拝主義」ということを受け入れれば、江戸時代以前の日本の文化人、例えば四書五経に造詣の深かった新井白石や吉田松陰の叔父の玉木文之進に教養という言葉が似つかわしくないことの合点がいきます.
 そして、辞書的な意味でも日本の辞書の説明より、「教養=リベラルアーツ(liberal arts)]としたBritanica Concise Encyclopediaの定義の方がよっぽど分かりやすく感じるのも納得できます.
 さらに本の帯に書いてある、東大になぜ「教養」学部が残ったのか?ということも・・・・・・
http://www.asahi-net.or.jp/~pi5a-kns/