科学の知、パトスの知2014年05月05日

        空を超えて ラララ星のかなた 行くぞアトム ジェットの限り、
         心やさし ラララ科学の子、十万馬力だ 鉄腕アトム


  “鉄腕アトム”は1952年から1962年まで「少年」(光文社)に連載され、1963年から1966年までアニメ放映されました.
 私は“鉄腕アトム”の連載開始の年に生まれ、“鉄腕アトム”とともに成長した世代です.科学は万能であると信じて疑わず、科学的に考えることが唯一絶対の知であると考えていた“科学の子”です.
 医療に関しても、同じ手塚治虫の“ブラックジャック”に描かれているように、近代医学は絶対で、いずれ病を絶滅させ、人類は痛みや苦しみから解放されるに違いないと確信していました. 
                    
 しかし、現代医療は手塚治虫の思い描いた未来の医学とは程遠いところにあります. 病気を克服して永く生を享受できるはずだった21世紀ですが、現実は長生きだけはできるようになったものの、ただただ特養ホーム入所を待ち望んでいるだけの長生きになってしまいました.
 科学の発展により、遺伝子レベルで疾患をつきとめ、それを治せるはずだった医学が、新たな苦しみをもたらしています.出生前診断でダウン症と診断された母親や家族は、出産するかしないのかの判断を迫られれています.その決断は個々の上に重くのしかかり、決定にいたるまでに受けるであろう苦悩は察するに余りあります.

 近代医学は病気には原因がありそれを除去することで病気を支配できると考えてきました.しかし、この考え方では、がんや脳梗塞という個々の疾患に対するアプローチは可能でも、老いをそしてその人全体を支配することはできません.遺伝子の違いがダウン症と関連すると分かっても、それをコントロールすることはできません. 
 そして、老いの悩みや出生前診断のもたらす苦しみに対して、〈科学の知〉は何の解決策も与えてくれません. 

 このような困難な時代に必要なのは、痛みや病、受苦などの人間の弱さの自覚の上に立つ知、パトス(情熱、激情、情念)の知です.〈パトスの知〉は人間が受動的、受苦的存在であることによって、他者や自然といきいきとした交流ができることを教えてくれます.そして、環境や世界ががわれわれに示すものを読み取り意味づける方向に導きます.
 老いや障碍を自分から切り離してコントロールするのではなく、自分の一部として受け入れ、それが示すものを読み取り意味づけるように働きます.
  カレルやワイルが近代医学の不十分さを補うものとして模索していたのは実はこの〈パトスの知〉だったのではないかと思います.

 アトムは正義感が強く優しい心を持つ人間に近い感情を持つロボットです.しかし、芸術に感動し、怪談を怖がるような心がないために、人間と深く交わることができないという悩みをもっていました.そこで、お茶の水博士に頼んで、人間と同じような感情を持てる人工造機を作ってもらいました.しかしその結果恐怖心が芽生え、両親をさらった敵と戦うことができなくなってしまい、その機械を取り外してしまったという話があります.


 アトムが人間といきいきした交流関係を結ぶには痛みや病苦、嫉妬や憎悪などの負の感情をも受け入れる必要があります.しかし、科学の粋を集めた正義の味方鉄腕アトムに病気や恐怖心は似つかわしくありません.そのような人間の弱さを持ったアトムはアトムで無くなってしまうからです.

 鉄腕アトムの悩みの中に〈科学の知〉の限界が見え隠れしています.
 

 
術語集、中村雄二郎、岩波新書 38臨床の知p186-190